ネットビジネスでも、特にメルマガアフィリエイトをしていると、
文章を書くことが仕事の大部分になります。ここではあらためて
「文章を書くとはどういうことか」という本質的なことを考えて
みたいと思います。

文章

音声も撮ったので、聞きながらだと、わかりやすいと思います。
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■定義は人によって違う

確実に言える結論は、「定義は人によって違う」ということです。
たとえば、

・文章は「情報を伝える手段である」
・文章は「人を感動させるためにある」

などの主張の違いがとっさに考えられます。目的という視点で
みるとこういう2つの視点に大別できます。そして、正体を
何かと考えると、

・ただの線や点の羅列である
・もっと言うなら、インクのシミである
・声に出した場合、空気の振動である
・もっと言うなら、二酸化炭素である

などの見方も考えられます。じゃあ、こういう人たちが文章や
言葉の力を否定しているのかというと、そうではないんですね。

それはなぜでしょうか?

■その「二酸化炭素」で、自分の主張が伝わると思っている

この「二酸化炭素」と言った人は、この主張を誰かに
伝えたいわけです。

伝えたくないなら何も言わなければいいんですね。言った
ということは「伝えたい」と思ったか、少なくとも「今伝える
必要がある(めんどいけど)」「言えば伝わる」と思った
わけです。

これはつまり、彼は「この二酸化炭素にはメッセージを
込められる」と思っていたということなんですね。少なくとも、
他人の二酸化炭素はともかく、自分の二酸化炭素には
そういう力があると信じたわけです。

■結局、文章とは何なのか

で、話を最初に戻すと、文章というのは多分実態のない
ものなのです。つまり、受け手によっていくらでも変化する
ものなんですね。

その文章が完成して公開された時点で、それがどういう文章で
ある、と判断することは誰にもできないのです。

たとえば親鸞の肉筆などは、日本人からしたら価値のあるもの
です。しかし、日本語がわからないカンボジア人などが見たら
価値はありません。

価値を見出すとしたら、転売すればお金持ちになるとかそういう
価値であり、そのインクのシミには価値を感じないのです。
(日本文化が好き、という人であれば話は別ですが)

なので、親鸞の肉筆にしても完成した時点では何の価値も
もっていないのです。価値は、見る人の中にのみ存在するのです。
すべての文章はそうなんですね。

文章の価値は、ただ見る人の中にのみ存在するのです。書き手が
価値を決めることはできないのです。

こう考えると、「他人の読みたがることを書く」ことの大切さが、
思い切り根本的な部分からわかります。科学的にこういう理由が
あるからこそ、「文章は人に伝わってなんぼ」なのです。
メルマガアフィリエイトでもそれは常に心がけたいものです。