マザー・テレサは数多くの演説で人を感動させてきました。
しかし、彼女の演説はすべてアドリブでした。
ここでは、彼女がなぜアドリブでも人を感動させる
ことができたのか考えます。

スピーチ

音声も撮ったので、聞きながらだと、わかりやすいと思います。
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■むしろ、アドリブだったからこそ

アドリブの演説といえば、同じく有名なのが、
キング牧師の「私には夢がある」の演説です。

この演説は前半の真面目な部分は準備したものですが、
この名言に代表される後半の盛り上がる部分は、
すべてアドリブだったそうです。

こうしてマザー・テレサとキング牧師の演説を見ていると、
アドリブだったのに、というよりも、
むしろアドリブだったからこそ、と言えるかも知れません。

感動
■話し手の気持ちはダイレクトに聞き手に伝わる

私たちにはミラーニューロンという神経回路があり、
相手の気持ちをコピーすることができます。

(これによって私たちは獲物の動きを予測したり、
原始時代から他者とのコミュニケーションをとったりして、
生存してきたわけです)

なので、演説でも話し手の気持ちは、
そのまま聴衆に伝わっているわけです。

ミラーニューロン

話し手が緊張していれば聞く方も緊張するし、
話し手が聞き手を嫌っていれば、
聞き手もそれを感じてしまうわけです。

逆にキング牧師やマザー・テレサのように、
一切の細工を加えない、完璧に純粋な気持ちで
話している人を見た時、人はそれに感情移入して、
本当に幸せな気持ちで、その演説を聞くことができるのです。

そう考えると、むしろ演説というのは、
最終的にはアドリブでなくてはならないのでは?と思うくらい、
アドリブの方が本来いいわけです。


■マザー・テレサがアドリブでも話せた理由

マザー・テレサは別にスピーチが上手かったから、
アドリブで話せたわけではありません。

マザーテレサ

もちろん頭のいい人なのでスピーチの能力もあったでしょうが、
彼女の場合一番大きな理由は、
「ただいつも思っていることを話しただけ」だからです。

自分がいつも思っていること、やっていることを、
そのままダイレクトに語るだけだったのです。

だからあれこれ考える必要もなく、
いわばオタクの人が自分の好きなアニメなどについて
語る時と同じように、とどまることなく、
熱を持って語ることができたのです。

私たちもマザー・テレサのように、
常日頃思っていることを語るだけで人を感動させられる、
そんな人間になりたいものですね。