「雇われない」の定義は意外と難しいです。
ここではその定義が難しい理由を説明します。
音声も撮ったので、聞きながらだと、わかりやすいと思います。
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■社長だって「雇われ」である
社長は雇われではない、と思っている人が多いです。
しかしこれは違います。
たとえばマクドナルドの原田泳幸さん(今は社長でなく会長)
のような「サラリーマン社長」の例もありますが、
それだけではありません。
創業社長でも業種によっては「雇われ」です。
下請け工場の社長がその典型でしょう。
下請けはメーカーに対して半ば言いなりに
なるというのが基本です。
立場こそ「一国一城の主」ですが、
歴史の言葉でいうなら「属国」に近い状態の社長さんも
現実には存在しています。
そういう現実を見ると、社長=雇われではない、
というのは間違いだということがわかります。
(これは下請け会社の社長を否定しているわけではありません。
私だってASPの下請けをしているようなものですから、
立場は同じなのです。むしろ自分の経験から感じたことです)
■大元の企業の社長は、雇われではないか?
では、大元の企業、上の例でいうならメーカーの社長の場合は
雇われではないと言えるでしょうか。
これも厳密には違います。
なぜなら、彼らは「株主の顔色」を
うかがう必要があるからです。
株式会社は株主のために存在します。
これは価値観の問題ではなく、システムがそうなっています。
となると、いくら社内では最高権力を持っていても、
株主の前ではその社長もやはり「雇われ」なのです。
となると極論すると、
『世の中には、投資家と、投資家に雇われる人しかいない』
という、この業界でよく聞かれる言葉にたどり着きます。
(実際、正解なのですが)
でも、じゃあ投資家だけが幸せなのかといったら、
それは違うと誰もが思うでしょう。
たとえばプロ野球選手は一応個人事業主ですが、
実質「球団に雇われている」ようなものです。
その彼らが「雇われだから」という理由でダメということは、
誰も思わないでしょう。
つまり、私の結論を言うと
「雇われか、雇われでないかなど、どうでもいい」ということです。
いわゆる「普通の仕事」でも、
10年程前に大ベストセラーになった「生協の白石さん」のように、地味な仕事に心を込めて、日本中を感動させた人もいます。
大事なことは「雇われを卒業する」などということではなく
「今この瞬間、目を覚まして生きる」
ということではないでしょうか。
遠くばかり見ているのではなく。