前回と前々回、韓非子という
中国古典の法律家について語りました。
ここでは彼の死のエピソードから学べることを書きます。

韓非子

音声も撮ったので、聞きながらだと、わかりやすいと思います。
⇒ この記事の音声を聞く

■人間不信の人生の通りの結末

韓非子は人間不信でした。
性悪説で有名な筍子の影響を受けており、
人の心など信じなくても社会が回るよう、
徹底して法律を整備しました。

人間不信だったからこそ、
東洋で初の本格的な法律を生み出すことができたのですが
(卑弥呼より遥か前の時代です)、
その一方で、人間不信のせいで彼は悲劇の最後を遂げました。

李斯

彼は同じく法律家の李斯(りし)という人物の
讒言によって死にました。

讒言(ざんげん)というのは
「あることないことを言われる」ということです。
その濡れ衣によって彼は投獄されました。

「自分が制定した法律」によって捕らえられ、投獄され、
そのまま獄中でボロボロの体になって死んでいったのです。
この時彼が何を思っていたのかはわかりません。

ただ、長年「人間を信じてはいけない」という言葉を
連呼していた彼の言葉通り、人間に裏切られる形で、
彼は最後を迎えたのです。

裏切
■人間は、口にしている通りの人生を歩む

韓非子を責めることはできません。

当時の春秋戦国時代の中国では、
他人を信じるなどということは危険極まりないことだったし、
そんな中で「仁」を説いていた孔子たちも、
しょっちゅう暗殺されそうになっています。

だから、韓非子がいう「人間を信じてはいけない」というのは、
当時の彼らからしたら間違いなく真実だったのです。

だからこそ彼がブレーンとしてついていた秦の始皇帝は
中国を統一できたのです。
「人間を信じない」ということは大切なことだったのです。

しかし、彼がそう連呼していたからこそ、
周囲の人間も「人間を信じず」、
韓非子についてのデマが回った時も、韓非子を疑ったわけです。

デマ

(他の事情で、わざと陥れた人々もたくさんいたでしょうが)

韓非子もやはり「口にした通りの人生を歩んでしまった」
一人なのです。


■本当はどう生きたかったのか?

私は前回紹介した
「巧詐は拙誠に如かず」という彼の言葉を見るたび、
「本当は他人を信じたかったのではないか」と思います。

少なくとも、この言葉とともに彼が紹介したエピソード
(前回参照)を見る限り、そうとしか思えないからです。

韓非子がもし現代に生まれていたら、
もう少し余裕のある状態で、
「人間を信じる」という理想を実現できたのではないかと思うと、
歴史上の人物ながら、少し哀愁を感じてしまいます。