「働くとは何か」といったら、
人それぞれいろいろな考え方があると思います。
ここでは私の友人が常日頃主張している考え方を書きます。

働く

音声も撮ったので、聞きながらだと、わかりやすいと思います。
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■働くとは、誰かの役に立ってお金をもらうことである

こう書くと「NGOは働いていないのか」と
いう反論があるかも知れません。

しかし、友人は長年ボランティアの世界にいたので
熟知していますが、NGOも結局、
誰かの役に立って、資金を誰かからもらっているのです。

NGOの人々がその活動に専念するためには、
当然最低限の生活費はもらう必要があります。

NGO
正確には、人間には結婚や育児などへの備えもあるので、
最低限の生活費プラスαは必要なのです。
(理想を言うなら、やはり月収20万はNGOでも
 欲しいところですし、求めていいでしょう)

もし活動を続けていても全然資金が出ない活動があったら、
それは何かいいことはしているのかも知れませんが、
少なくとも「働く」ではないと友人は定義します。

つまり、友人はあくまで「働く」の定義をしているだけであり、
報酬が一切発生しない仕事を否定しているわけではないのです。

これは、野球や音楽などでの「プロ」の定義と同じ、
と考えたらわかりやすいかも知れません。

仕事
知っての通り、プロの定義は「それでお金をもらっているか」です。
彼にとって働くということは、
「誰かの役に立って、それでお金をもらう」ということなのです。

■「傍を楽にする」という言葉について

はたらくの語源は、「傍を楽にする」だと言われています。
仏教の思想から来たとも言われていますが、
仏教に興味がないという人でもよく使っているネタなので、
日本人の間では割と定着している考え方かも知れません。

この語源通り、要は誰かを楽にする、
誰かの面倒を取り除くような仕事をして、
それでお金をもらったら、後は深く考えなくていいのです。

何が正義かなど本当に考え始めると、
ニーチェなど歴代の哲学者のように発狂してしまうのがオチです。

ニーチェ
そういうことを考えてなかなか就職しない学生などは、
ある意味「哲学者でも見つけられたなかった答えを、
自分なら見つけられる」と思っているようなものです。

こうして考えると「働く意味を考える」というのは、
見方によっては傲慢でもあるとも言えるでしょう。

「まず働いてから考えた方がいいよ」というのが、
多くの社会人の本音ではないでしょうか。

ということを、最近友人と話しあったりしています。