生きるための労働から解放されたい、
という気持ちはとてもよくわかります。
ただ一方で、人間とか動物の本当に美しい姿は、
「生きるための行動」の中にあるのも事実です。
ここではそれについて考えてみます。
音声も撮ったので、聞きながらだと、わかりやすいと思います。
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■野球をする喜びは、プロ野球選手だけが知っている
こういうと高校野球が好きな人から批判を浴びるかも知れません。
私自身も高校野球は割と好きですし、
タッチやH2などのあだち充作品もどれも名作だと思っています。
なので、決して高校野球を否定しようとしている
わけではありません。
ただ、野球の本当の喜びを知っているのは、
おそらく高校球児よりもプロ野球選手だろう、
と私は思っています。
■学生時代の自分と、社会人の自分を比べればわかる
たとえば自分の仕事について、その仕事につく前の学生の
頃の自分と、今の自分のどっちがその仕事の
本当の喜びを知っているかといったら、
誰もが「今の自分」と答えるでしょう。
たとえば学生時代に電子工学を専攻していて、
その分野に進んだ人は、多分、
学生時代より遥かに辛い仕事を
毎日乗り越えているはずです。
でも、どっちが楽しいかといったら、
多分「仕事にしている今」と答えると思います。
学生時代楽しさはあくまでただの「快楽」であって、
人間の心を芯からゆさぶるような喜びではないからです。
人間を芯から揺さぶる喜びはやはり厳しさの中にだけあり、
厳しさの究極は、「それをしないと死ぬ」という
場面にのみあるからです。
■背水の陣は慣れると快楽になる
背水の陣をしくというのは最初のうちは辛いものですが、
慣れるとだんだんそれがないと退屈に
感じるくらいのものです。
たとえばB’zのギリギリチョップという名曲では、
「ギリギリじゃないと僕ダメなんだよ」という
サビの強烈なフレーズがありますが、
まさにそんな感じなのです(笑)。
(しかし、B’zの歌詞は文字にしてみると、
少しへんてこに感じるものが多いですね。笑)
生きるための労働から解放されたいという気持ちは
誰にでもあるべきですし、とてもよくわかりますが、
生きるために何かをするということは、
美しいことでもある、というのもまた事実です。
鳥が飛んでいるのも生きるために仕方なくそうなっただけですし、
生物の進化はすべて「生きるためにやむをえず」
そうなったものです。
なので、労働から解放されることを目指しつつも、
「生きるため」というギリギリの快楽というのは、
なくさなくてもいいのではないかな、と思います。