■これからのFacebookはどうなるのか

…というように理想を掲げてそれを実現したFacebookですが、
最近の日本やアメリカではやや衰退しています。

特にアメリカでの衰退ぶりはひどいです。
「Facebookはもう終わりではないか」という声も
あちこちで上がっているくらいです。

決定的な事件となったのは「Facebook鬱病」の調査です。
アメリカでは今「Facebook鬱病」という言葉が流行っています。

これは、「Facebookをやっているうちに、
自分と友達を比較するクセがついてしまい、
最終的にうつ病になる」
というものです。

Facebookは当然反発し、
「そんなものは存在しない」ということで、
調査を開始したわけです。

その調査の内容に問題がありました。

大人数のユーザーをピックアップし、
彼らの感情の変化を勝手に追跡したのですが、
そのやり方がプライバシーの侵害にあたるものだったため、
アメリカ中から批判されたのです。

現在、そうしたプライバシーに関する機関が
Facebookを裁判にかけることを検討している、
というところまで話が進んでいるようです。

という風に「この会社は大丈夫なのか?」という疑念が、
今アメリカでは強くなっているようです。

実際、日本では5年ほど前までmixiが全盛だったのに、
あっという間にTwitterFacebook
交代してしまいました。

…と思っていたら、またそのmixiが、
オンラインゲームの成功によって復活する
など、
この業界の移り変わりの早さは異常なくらいです(笑)。

(mixiはSNSとしては復活していないかも知れませんが、
 少なくとも営業利益的には完全復活しているようです)


■Facebookが衰退するなら、使う意味はないのか?

これは断言しますが、使う意味はあります
というのは、Facebookに価値があるのではなく、
人とのつながりに価値があるからです。

つまり、Facebookでの交流を通して、
今の仲間の人々との繋がりを強くしておくということです。

そうしたら、明日Facebookが消えたとしても、
その人たちとメールなどで連絡を取って、
また一緒に何かできるでしょう。

Facebookというのは、
いわば電話やファクスのようなツールに過ぎず、
肝心なのは、そのツールを使って誰と付き合うか、
どのような付き合いをするか、
ということなのです。

そういう意味では、
Facebookに蓄積した記事などはムダになるかもしれませんが、
育てた人脈がムダになることはないんですね。

いつの時代もツールは次々変わっていきますが、
人脈とかコミュニケーション力というのは
消えることがありません。

そういう本質的な部分に注目してFacebookを使っていれば、
時代の変化など気にする必要はないのです。