今日が人生最後の日なら、という問いかけは
ジョブズが亡くなった時から日本ですっかり定番の
言葉となりました。
今日はこの言葉について考えてみます。
音声も撮ったので、聞きながらだと、わかりやすいと思います。
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■今日が人生最後の日なら、私はリンゴの木を植える
これは宗教改革で有名なマルチン・ルターの言葉です。
「今日が人生最後の日だったとしても、私は未来につながる
仕事をいつもどおり続けるだろう」ということですね。
りんごの木を植えて育てても、その果実を自分が
食べられるわけではありません。それをするのは
何のためかといったら、後世のためなんですね。
最初から自分の人生は世間や後世の人々のためにあり、
今日が人生最後の日だったとしても、自分は
その仕事を続ける、ということをルターは言ったのです。
■鳥が巣作りをするのも同じである
これは鳥が巣をつくるのも同じです。人間から見ると、
動物はみんな「今日が人生最後の日」というモードで
生きているように見えるでしょうし、確かにそうかも
知れません。
でも、実際にやっていることを見ると、彼らはルターと
同じく「後世につなぐ」ことをしているんですね。
鳥だけではありません。あらゆる動物が、人生最後の日
だったら何の意味もないことを「命をつなぐ」ために毎日
やっているのです。
こう考えると、ルターの言ったことはキレイ事ではなく、
むしろ生物学的な事実、ということはできないでしょうか。
つまり「生物はみんな、今日が人生最後の日だったら
やらないようなことを、やるようにプログラムされている」
ということです。
■だから、欲望のままに生きてはいけない
人生最後の日という問いかけのもとで、欲望のままに
生きてしまう人はたくさんいます。実際、私も今本当に
人生最後の日になったとしたら、どんな行動を取るかは
よくわかりません
(一応、いろいろ想像はしますが、実際になってみると
全然違うでしょう)。
ただ、どういう人間になりたいかといったら、やっぱり
最後の日だったとしても、取り乱して欲望のままに
生きるのではなく、ルターのようなことが言える人間に
なりたいと思います。
心の底から思うのは難しいかもしれないですが、それでも
そんな自分を脇に置いて、行動だけはルターのようになれる、
そんな人間を目指したいですね。
[…] ださいというしかないでしょう。 「何が君の幸せ?何をして喜ぶ?」というアンパンマンの 歌詞の通りです。あれは本当に重要な問いかけなのです。 前の記事に戻る次の記事を見る […]