「死ぬ時にどんな風に思い出されたいかを考えろ」と
いうことは、よく自己啓発の書籍などに書かれています。

ここではその意味をあらためて考えてみましょう。

死ぬ時

音声も撮ったので、聞きながらだと、わかりやすいと思います。
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■お金を持ったまま死ぬことはできない

去年、宇多田ヒカルさんの母親である藤圭子さんが
飛び降り自殺をされてしまったことは、多くの方が
ご存知でしょう。とても痛ましい事件でしたが、それ以前の
藤圭子さんの行動についても興味深いものがあります。

彼女はある時期から宇多田さんも含めて誰も信用しなくなり、
「信用できるのは現金だけ」と公言して、いつも多額の
現金を持ち歩いていたそうです。

空港で5000万円の現金を税関で発見され話題になったことも
ありました(ちなみに、税関では100万円を超える現金や
アクセサリーなどを持ち込む場合には申告しなければならない
というルールがあります。確か100万でした)。

そのように現金を愛して、実際に宇多田さんの活動の
マネジメントで年収1億以上は得ていたと言われる藤圭子さん
ですが、あのような悲しい末路をたどってしまったわけですね。

「あの世にお金は持っていけない」という話はよく聞きますし、
もうそんなありきたりな話はどうでもいいよと、私自身も
たまに思うのですが、実際に遊んで暮らせるだけの大金を
持っていた藤圭子さんの生涯を見ると、この言葉の意味を
あらためて考えざるを得ないのです。


■死ぬ時にどう思い出されたいか

というわけで、この見出しの言葉をあらためて考えてみると、
なかなか難しいなと思います。私が死ぬ時に「アフィリエイトで
効率的に毎月月収100万円を稼いでいた人」として記憶されたいか
というと、間違いなくノーだと思います。

別にお金を稼ぐことが格好悪いとか汚いとか思っているわけでは
なく、「それで記憶されたいわけではないよな」と思うのです。

じゃあ何で記憶されたいのかというと正直難しいです(笑)。
実際、これを明確にすぐに応えられる人が本当にそう思って
いるのかということを私は疑問に思います。

たとえば五木寛之さんは「人生の目的」というベストセラーの
中で「人生の目的を即答できる人なんていない。

できたとしたら、それは宗教だ」という内容のことを
語られていて、深く共感しました。別に宗教が悪いという
わけではなく、何かを宗教のように盲目的に信じていれば、
そう即答することができるのでしょう。

しかし、あらゆる価値観が正義でも悪でもない世の中では、
むしろ迷う方が正常な気もするのです。なので、いつか
なんとなく答えが出たらいいなという感じで、私も
死ぬ時のことを考えています。