「英雄色を好む」という言葉は本当です。成功者のうち
かなりの人数が、学生時代の「モテたかった」という気持ちを
原点にして成長しています。ずっとその動機だけで動いたか
どうかは人によりますが、原点はそれだったことが多いです。

英雄

音声も撮ったので、聞きながらだと、わかりやすいと思います。
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■ラーメンのメニューだけ見て満足、という人はいない

私の友人に、日本人のくせにイタリア人が入っているような、
いわゆるモテ男がいますが、彼がこの間こんなことを
言っていました。

「よく、ギャルは見てるだけで満足で付き合いたいとは
思わない、とかいう男がいるけど、それは絶対に違う。
ラーメンのメニューだけ見て満足、という人はいないのと
同じだ」

という話でした。

確かに、ラーメンのメニューを見ていて「美味しそう」と
思うのは「食べたい」からです。そして、実際に私たちは
食べます。食べるだけの実力があるからです。

食べたいから美味しいと思ったし、実際食べる。ということは、
ギャルを見て「かわいい」とか「セクシー」と思うのも、
下卑た話になってしまうかも知れませんが「やりたい」から
なのです。

そして、やりたいということは、ラーメンの時と同様「それが
できる条件が整っていたら、やるはず」なんですね。

なので、友人は誰かの人生を否定するということはしない
人間ですが、それでも「ああいう言葉は負け惜しみだ」と
はっきり言っています。


■イソップ童話の「酸っぱいブドウの論理」

上のような「負け惜しみ」(あくまで友人の表現)は、
イソップ童話の有名なエピソードにも見られます。
「すっぱいブドウ」というものです。

ブドウを食べたかったけど、届かなくて食べられなかった
キツネが「あのブドウはすっぱいから食べないんだ」と
言い訳をするものですね。

これは心理学の自己正当化のわかりやすい例として、
学校の保健の教科書などにもよく登場します。

友人の話を聞いていて私が思い出したのが、この酸っぱい
ブドウの話でした。恋愛にかぎらず、ビジネスでうまく
いかなかった人にもよく見られる例だなと思います。

そういう言い訳や負け惜しみを言うことは私もよくあるので
気持ちはわかりますし、批判する権利もないのですが、ただ
私だけはそうはならないようにしようと、あらためて気を
引き締めました。