私たちは人から嫌われることを無条件で怖がりますが、
人から嫌われるということは時には必要です。

志の低い人間が相手の場合、むしろ嫌われなければ
ならないのです。その理由を説明します。

志

音声も撮ったので、聞きながらだと、わかりやすいと思います。
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■志の低い人は、志の高い人を嫌う

たとえばキング牧師、ガンジー、リンカーン、ジョン・
レノン…、これらの人はすべて暗殺されてしまいました。

世界史にその名を刻む志の高かった人々ですが、志の高さは
彼らのようなレベルになると、「殺したいくらい」嫌われる
のです。

このような偉人が暗殺された例にとどまらず、基本的に
「間違っている人が正しい人を嫌う」ということはよく
あることです。学校生活などでも記憶があるのではない
でしょうか。

人間は生まれた時点では善でも悪でもなく、3歳までの教育で
人格が決まると思っています。なので、生まれつきの悪人は
いないけど、残念ながら3歳までの教育で人の志はある程度
決まってしまうのです。

人の気持ちがどこまでもわかる人もいれば、不法投棄や
ポイ捨てをしても平気な人間も現れるわけです。

後者のような人には、嫌われなければならないのです。
このような人たちには嫌われ、正しい人たちには好かれる、
ということが大事なんですね。


■もちろん、無理に嫌われる必要はない

このように書くと、わざわざ嫌われるようなことをすべき
なのかと思われるかも知れませんが、わざと嫌われる必要
などもちろんありません。

ただ、正しいことをしていた時に結果として嫌われた
というのであればそれはまったく気にする必要が
ないのです。むしろいいことなんですね。

大事なことは、誰かからどう思われるかということではなく、
自分がどんな気持ちでその行動をしていたか、その行動は
本当に社会の利益になっているのかということです。

自分の気持ちがきれいなものだったとしても、具体的に
どのように社会の利益になっているのか説明できないので
あればただの自己満足です。

自分の気持ちも正しいし、実際に物理的に社会の利益にも
なっている、という二つの要素を満たしている必要が
あるんですね。

この二つの要素を満たした行動で人から笑われたり
嫌われたりした場合には、それはもう相手の問題なのです。

そんなことを気にしていて本当のビジネスはできないので、
ただ一つ「自分は正しかったか」ということだけを
考えるようにしましょう。