ドラッカーはワープロの時代になってもずっと
旧式のタイプライターを使い続けたそうです。
ここではこのエピソードから私が思うことを書きます。
音声も撮ったので、聞きながらだと、わかりやすいと思います。
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■何がベストの道具かは自分が決める
世間的には、ドラッカーの人生の後半では、もう完全に
ワープロを使った方がいいとされていたはずです。
たとえば彼の場合、彼の原稿を出版社の人々が印刷する
必要がありますた、タイプライターで印刷された
「生原稿」では、印刷作業ができません。
なので、ドラッカーの原稿を受け取った編集者は、
それを自分でまた打ちなおして、印刷用のファイルを
作っていたのです。
編集者さんからしたら迷惑な話ですよね(笑)。
ドラッカーだから許されたものの、これが新人の
学者だったら絶対に干されていたでしょう。
というように、ドラッカーの人生の後半では明らかに
ワープロを使った方がよかったのです。
しかし、彼はそれをしなかったんですね。
■そのタイプライターでなければ、文章が浮かばなかった
理由は、そのタイプライターで仕事をしないと、
いい文章が浮かばなかったということのようです。
彼ほどの能力があれば別に慣れないワープロでもそれなりの
文章は書けたと思うのですが、やはり時代を揺るがすような
名文を書こうと思うと、微妙な違和感すら感じない、長年
親しんだタイプライターがよかったということなのでしょう。
これはただ単に彼が頑固だったということで片付ける
問題ではないと思います。
私は「その人にとって最善の道具は、その人が決める」
という教訓だと思っています。
テクノロジーについていくことは大事ですが、それに
振り回されてはいけないということです。
あくまで大事なのは自分の中にある「コンテンツ」であり、
道具というのはそれを出力するためのシステムに
すぎないのです。
だったら、その出力ができるだけ簡単になるようなものを
使うのが合理的ということです。
それが若者の場合はワープロだったりパソコンだったり、
現代だったらタブレットになったりするわけですが、
ドラッカーの場合はタイプライターだったのです。
つまり、世間が「これからはタブレットを使いこなせなきゃ」
などと言って騒いでいたとしても、別に必要を感じなければ
無視してもいいということですね。
私たちのようにウェブの仕事をしていると、自分のサイトが
タブレットでどう表示されるのか見た方がいいので、
持った方がいいですが、そうでない人が無理にタブレットを
持ったりする必要はないのです。