電車の中で本を読むというのは、
必ずしも時間の有効な使い方とは言えないとわたしは思います。
その理由を書きます。

読書

音声も撮ったので、聞きながらだと、わかりやすいと思います。
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■読書は仕事に直結していない

読書は間接的には仕事に役立ちます。
しかし、仕事(もっというと報酬)に
直結しているわけではありません。

たとえば私はドラッカーの言葉が好きですが、ドラッカーの
「我々の顧客は誰か」という言葉を考えるのであれば、
やるべきことはドラッカーを読むことではなく、
電車で移動している間にも仕事をすることでしょう。

我々の顧客はドラッカーではないのです。
ドラッカーの言葉を読むのもいいですが、
それはあくまでヒントの一つとして読むものであり、
毎日のように電車で読んでいる必要などないわけです。

読書2
もちろんドラッカーを毎日読むほどの熱心なファンは
少ないと思うので、ここではあくまで例えとして出していますが、
私たちがすべきことは、電車の中であれ
仕事に直結するべきことであるべきです。

少なくとも、成果報酬の仕事をたくさん抱えて、
それらをこなせば誰が喜んでくれるのかはっきりわかっている、
いくらの報酬が入るのかはっきりわかっているという人は、
電車の中で読書をしている時間すら惜しいと感じると思うのです。

■電車の中で時間を無駄にしている人が多すぎる

そうして朝の通勤電車の人々を見ていると、
時間を無駄にしている人が本当に多いと実感します。
95%くらいの人は時間を無駄にしています。

読書3
朝っぱらから寝ている人や、
女の子の隣に座ったり立ったりすることばかり
考えている男性(気持ちはわかりますが)や、
携帯をいじってばかりいる人など…。

もしかしたら携帯などは有効に時間を
使っているのかもしれませんが、多分、
ほとんどの場合はただ手持ち無沙汰なだけでしょう。

私たちは「時間がない」とか「忙しい」とか連呼するし、
自分の仕事に対していろいろ文句を言っているけど、
実際にはこれだけ時間を無駄にしているわけです。

読書4
これだけ時間を無駄にしていながら
いろいろ自分の環境に文句をいうのは
間違っていると私は思います。

これはつい最近までの私自身がそうだったので、
人に対する批判ではなく、
少し前までの私に対する自己批判です。

私たちは本気になれば今の何倍も
時間を有効活用することができます。

それをしないうちから自分の年収や
その他のポテンシャルを低く見るのは、
とてももったいないことだと言えるでしょう。