経営者がなぜ飽きることなく論語を読むのか、
この理由を説明できるかどうかで、
その人がいい経営者に近づけるかどうかが決まります。
音声も撮ったので、聞きながらだと、わかりやすいと思います。
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(ちなみに、よくわからないビジネスで稼いでいるだけの人は、
私は経営者とは呼ばないことにしています。
それはただの成金であり、ドラッカーが語るような
経営者の資質などはまったく満たしていないからです)
と、少し前置きが長くなりましたが、
実のある経営者がなぜ論語などの古典を愛読するのか、
ここではその理由を考えてみます。
■ビジネスは最終的にマインドですべて決まる
これは間違いないことです。
ビジネスで本当に大きな利益を出そうと思ったら、
何か大きなことのために、博愛の精神をもって
挑む必要があります。
博愛の精神といっても、脳内お花畑の人が想像するような
「世の中に悪い人なんていない」とか、
そんな甘い話ではありません。
もっとたくましい、イメージで言うなら、
ブルーハーツの「トレイン・トレイン」の名フレーズ
「ここは天国じゃないんだ、かと言って地獄でもない」
というような意識です。
さらに引用になりますが、続きの
「いいやつばかりじゃないけど、悪いやつばかりでもない」
という気持ち=人類愛を持って仕事に打ち込む、
ということが最終的には必要だと思います。
もちろん、そこそこの利益で終わっていいのなら、
そこまで大きな気持ちは必要ないかも知れません。
しかし、本当に莫大な利益を得ようと思ったら、
最終的にはそういう人間としての何かが必要なのです。
■ある程度利益を出すと気づく
起業して最初のうちは、誰でも生活するだけで精一杯です。
特にネットビジネスよりも遥かにハイリスクな
リアルビジネスの場合はなおさらでしょう。
だからリアルビジネスの経営者の方々も、
最初のうちはやはり利益のことしか頭にありません。
しかし、ある程度利益を出すようになって、
「人間の本質」が重要なことに気づくと、
論語などの言葉を求めるようになるわけです。
「人間の世界で、何千年もかわらなかったことは何か」
という普遍的なルールを求めるようになるのです。
これは学校で教わる甘ったるい道徳などとは
まったく違うんですね。
キレイ事のためではなく、
「本物の利益」のために、心について考えるわけです。
私は、動物や人間が「生きるために何かをする」ということが、
最も美しいと感じています。
生きるために必要のないことは、美しいとは感じません。
だから、経営者の方が厳しいビジネスの現場で、
論語などの言葉を求めることは、
とてもいいことだと思います。