■たとえ嘘でも、面白ければ悪くない
ここまでは「誇張せず書く」ということを伝えてきましたが、
それは自分の生い立ちについて書く場合です。
音声も撮った↓ので、聞きながらだと、わかりやすいと思います。
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自分の生い立ちについて正直に書くというのは、
オーラをまとった文章を書けるようになるために、
とても重要なことです。
しかし、それ以外の部分では、
たとえ嘘でも面白ければ悪くない、ということもあります。
たとえば、哲学の歴史に残る名著に
「ツァラトゥストラはこう語った」という本があります。
ニーチェの代表作ですが、これは小説です。
ツァラトゥストラという架空の人物が、架空の世界を歩きながら、
ニーチェの「超人思想」を説いていくわけです。
ニーチェが小説という形式を取ったのは、
「普通に説明するより、そっちの方が伝わる」と思ったからでしょう。
思ったからといって、すぐに小説を書いてしまう学者というのも、
恐ろしい才能の持ち主ですが…(笑)。
小説なんて見方を変えれば「嘘のかたまり」ですし、
しかも活字のかたまりでしかありません。
食べ物などと違い、実際に人間が生きることに、
直接プラスになるものではありません。
しかし、そんな何の役にも立たないはずの「嘘のかたまり」が、
しばしば人の心を動かし、歴史すら変えてしまうわけです。
■アメリカの「奴隷解放」も「嘘」から生まれた
たとえばアメリカの奴隷解放のきっかけ。
これも知っている方もいると思いますが、
ストウ夫人の「アンクルトムの小屋」という小説です。
小説なので事実ではないのですが、
それでもその黒人奴隷・トムの人生を見て多くの人が涙し、
「奴隷制をやめよう」という声をあげたのです。
これも「嘘」によって世界が変わった例です。
この小説の前にも多くの政治家などが奴隷解放を説いてきたはずです。
しかし、彼らがたくさんの事実をレポートしたり、
奴隷解放後の制度についてリアルな政策を発表したりするより、
一冊の「面白い嘘」のほうが、多くの人々を動かしたわけです。
もちろん、これは「アンクルトム」以外の人々の
活動を否定するわけではありません。
そういう人々の活動があってこそ、アンクルトムが生まれたわけなので、
お互いに支えあっていたと考えるのが当然です。
しかし、「嘘でも面白ければいい」ということは、
もはや世界史レベルの事実なのだ、ということは、
こうした例を見てもわかるかと思います。