人間は常に当事者であるべき、というのが私の意見です。
たとえば野球中継を見ていて「なんだよ下手くそ」などと
言っているおじさんはよくいますが、彼らが野球を
できないことは明白です。
音声も撮ったので、聞きながらだと、わかりやすいと思います。
⇒ この記事の音声を聞く
人間はこのようにいつも当事者ではなく、
批評家になりたがるものですが、それで自分が偉いと
思っている人は、絶対に幸せではないと思います。
自分がそれで不幸だと自覚しているならそれでもいいですが、
それなら何のために生きているのかなと思います。
生きるつもりがあるのであれば、まずは批評家を
脱して自分が当事者になることです。
当事者だけが全てを語る資格を持っています。
その点、世間から叩かれることを何とも思わず
ああして過激な発言を繰り返している与沢翼さんは
尊敬に値すると言えます。
別に彼を人生の目標としたりはしませんが、少なくとも
批評家ではなく当事者であるという点で、私は尊敬しています。
もちろん、当事者なら偉いというのであれば、
犯罪ニュースであればそれを見ている人より、犯人の方が
偉いということになります。
しかし、私が言っているのはそういうことではありません。
犯罪をなくすための当事者というのは、世の中を
よくするために努力をしている人です。
つまり、犯罪について語っている暇があったら、
自分の周りからまず世の中をよくしていくべきということです。
犯人を叩くのも、正義感から来るものはいつまでも
それに時間を使ってはいないはずです。
ねちねちと2ちゃんなどでいつまでも実名を
晒したりしているのは、暇人のやることです。
彼がいいか悪いかは置いておき、
人間はとにかく、自分が当事者になって行動すると
良いのではないでしょうか?