■我々は想像以上に「主体性のない人生」を生きている

「主体性を発揮する」などというと、聞き飽きた言葉のように
感じる方もいるでしょう。

主体性

しかし、私たちは自分が思っているよりもはるかに、
「主体性のない人生」を生きています。

それは「日本の教育から与えられた価値観」とかもそうですが、
もっと小さいレベルでもそうです。


■日常の感情すら、主体的に発揮していない

たとえば道を歩いている時、
自分のすぐ横をギリギリで自転車が駆け抜けていくと、
「危ねえな、クソ」と思います。

そして、小さくなっていくその自転車の後ろ姿に悪態をつき、
そのイライラをしばらくの間引きずっている、
というのが多くの人の姿ではないでしょうか。

(ぶつかられた場合は、一日引きずっているかも知れません)

引きずる

■その感情は、実は昆虫のような反射的な感情である

しかし、よく考えたらこうしていつまでも怒っていても、
誰が得するわけでもありません。

知っての通り、ストレスは集中力を低下させるし、
活性酸素を増やしたりして体にも悪いので、
ひたすら自分が損をするだけです。

ここで自分にとって「最も利益のある行動」を考えるなら、
たとえば「彼のようにならないようにしよう」と反面教師にする、
そういう時でも自分をコントロールする訓練と思う、
(理性を司る大脳新皮質を鍛えるチャンスをもらったと思う)

…などの行動しかないのです。
「何、その聖人君子みたいな発想」と思われるかも知れませんし、
私もそう思うので、その気持ちはよくわかります(笑)。

しかし、上にも書いた通り、ここで怒ってもメリットはないし、
単純に「自分の利益だけ考える」なら、
どう考えても、こうやって「前向きな時間に切り替える」
しかないわけです。

前向き

■なのに、ただ怒るのは昆虫の反応と同じ

このように、人間の知性で考えたら、
どう考えても怒るべきでない場面でただ怒っている。

これは「振動が起きたらびっくりして逃げる」というような、
昆虫と同レベルの反応なのです。
昆虫まで言うと言い過ぎかも知れませんが、要はそういう
「動物的な反応」ということです。

7つの習慣では、こういう反射的に起きる感情まで含めて、
すべてを「主体的に決めよう」と言っているんですね。

一瞬イラッとしても「何でイラッとしたのか?」
「イラッとして何かメリットがあるのか?」
「あいつが私にした言動を、今できるだけプラスにする方法は?」

と考えるのが「主体的な行動」なのです。